断酒の先に光が見える………………(−_−;)かな?

3週間、3ヶ月、3年後の私へ、断酒の決意を忘れない様に。

最初から漬物だった。

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以前「しくじり先生」という番組で、貴闘力のギャンブル依存性の話をみましたが、見てよかったと思います。

 

依存性は脳の病気、心の病気なのだということがとてもよく分かったからです。

鬼の様な顔でギャンブルにのめり込む。脳の中でバランスが崩れて暴走してしまう。

 

私は20歳でお酒を飲み始めからもう既に依存性だったと思います。飲みすぎて部屋で吐き戻した記憶があるのです。最初から1人飲みの暗いお酒だったと記憶しています。

 

ただ女性でそんなにお酒に強くないので、低空飛行でここまで来てしまったんでしょうね。

 

ただ最初から依存性なので、脳の病気という自覚が無いのかもしれません。量は1.5倍ぐらいに増えましたが、人生のどこかで飲み方が変わったということが無いのです。依存性はよくきゅうりの漬物が元に戻らない話に例えられますが、私は最初から漬物だったんですね。

 

お酒を飲む事で不幸にしかなれないのに、本人はその事に気付けない。それが依存性。

 

依存性の裏返しとして「節酒出来るんじゃない?」という心の声、再飲酒を促す心の声は多分ずっと付きまとうだろうけど、常に気付きを持って乗り越えて行きたいと思います。

暑いですね。

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あ~もう暑いですね。ここのところ魔の13か月ですか? 季節的にもビール、ハイボール発泡酒、ちょい飲酒欲求が出てきています。でも、適量飲酒は無理だし、やめとくしかないかと納得しているところ。←今ここ。


このブログの書き初めの記事を読んでみる。フムフム(-_-) やっぱり精神状態がひどいわ。と再確認。断酒開始のタイミングでブログ始めといて良かった。記録って大切やなあ。と確認。体はもちろんやけど、精神状態がピリピリして辛くなっていた事を思い出しました。またあんな状態になりたいの?馬鹿じゃないの?と自問自答。


私には飲む選択肢は無い。けど食べるのはいいんじゃないかな・・・と食べ過ぎで痩せないけど、もうすぐ健康診断やけど。((((;゚Д゚)))))))

淡々と断酒継続1年

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「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。 危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となる。 迷わず行けよ。」123、ダー!(^○^)

 

断酒継続して一年が経ちました。

ブログ、Twitterで励ましの声をかけて下さった皆様には、感謝を言い尽くせません。皆様のおかげで断酒継続できています。人は1人では弱いもの、ささやかな言葉のやり取りが私に大きい力を与えてくれました。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。(^_^)

 

ですが、1年断酒継続出来たからって、自分におめでとうと言う気持ちにはなれないのです。

深酒に溺れていた自分を改めて、一年経った事がめでたい事なのでしょうか?

 

過剰飲酒は犯罪ではないですが悪行である事は間違いないので、例えば飲酒を盗み等の悪行に置き換えてみると、「手癖が悪くて盗みをやめられなかった自分が盗みをやめて1年経過しました。おめでとう。」と言ってるような違和感を感じるのです。(;ーー)

 

飲酒は悪行どころか日本文化では推奨?されているし、ちまたに大酒飲みは多く、そんなに厳しく考える必要ないのかもしれませんが、アルコール依存症の行き着く先を思えば、やはり自分に、そして家族に対する大罪であると思います。

 

おめでとうではなく、「これからも、気持ちを引き締めて、続けて行きます。」と宣言します。まだ人生が続く事に感謝して、毎日を大切に過ごさないともったいないですね。

 

なんかせっかくの1年経過に真面目すぎて可愛げのない事をツラツラと書きましたが、読んで下さった方々、お目汚しすみませんでした。「おめでとう。」というのは何か違うという違和感を、すっきりさせたくてこんな事を書いてしまいました。

 

まあこれからも断酒継続、肩の力を抜いて平常心で行きます。断酒継続同志の皆様、これからもよろしくお願いします。^o^

変化に弱い中高年。

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もうすぐ断酒継続1年ですが、最近健康の事でへこむことが多くて、せっかく断酒を頑張ってきたのにむくわれないなあと考えてしまい、→もう、飲酒再開しちゃえばいいんじゃないの?と考え→いやいやここまで頑張ってきたのに飲酒再開はしたくない。→第一程ほどに飲めないから断酒したのに、飲酒再開したら飲み過ぎてますます健康が悪化するし。気に入らない事があるからって、破滅的な考えをしてはいけないと反省しました。

昔からの疾患は薬を飲んでも抵抗がなく、断酒の為にノックビンも飲み続けているのに、新しい薬は「飲んでいいのか?」と悩む始末。ネットで情報を調べれば、医者批判、投薬批判に偏った情報ばかりで、「飲んではいけない。病気が悪化する。」記事ばかりでますます悩んでしまう。
要は変化に弱い。歳を取って新しい状況に対してストレスが大きくなっている。

まあ、結構な年齢になってきて、健康状態問題なしで済まないのも無理の無い事。体のあちこちにガタがきて当たり前。新宿OPクリニックの廣瀬先生がネットの講義で、「車で言えば10年落ち、走行距離10万キロ越えみたいなものだから、心配しすぎず、ある程度のあきらめが肝心。」と話されていましたが、その通りですね。

しらふの高揚感

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ここのところ急に暑くなって、日中なんかは暑くて辛い時もありますが、気持ちの良い新緑の季節になりました。
以前はお酒をやめてしまうと、酩酊中の昂揚感が楽しめなくなると思っていたのですが、最近はしらふで初夏の街並みに昂揚感が感じられる様になりました。特に夕方の日が暮れるまでの感じが気に入っています。
やはり、「二十洗脳」に書かれている通り、お酒を飲み続けて、普段のドーパミンの量が欠乏して、しらふの時は景色も灰色に見える様になっていたんだなと思います。
「お酒をやめるとストレスを解消できない。」という意見を聞きますが、そんな事はない。飲酒の一時的な昂揚感にだまされて、普段のストレスが大きくなっていただけだと実感しています。
お酒の飲み方に問題があって、やめようかと考えている人は、ぜひ私の体験を参考にしてもらえたらと思います。
これからも断酒継続して夕暮れの街をドライブする昂揚感を楽しみたいと思います。

あきらめたもんじゃない。

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先日、アルコール依存でかかっているお医者さん以外のお医者さんと話す機会があったんですが、「お酒を辞めたのは良かったけど、それまで大量に飲んでいた分、脳や体がダメージを受けているし、それは取り返せない。」と言われ、それはその通りだなあと思いました。どこかで断酒を3年続けたら脳が回復すると聞いて、それを励みにしていたんですが、もう老年に差し掛かる年齢で、大きい回復を期待するのは虫が良すぎるだろうと思います。

それでも私の年齢位からは生活習慣の見直しで、病気のリスクが大きく違うみたいですので、まだまだあきらめたもんじゃない。
ただ、ついつい断酒継続できている事でいい気になって、「私は偉い。」と自画自賛しているところがあったけど、何十年も大酒を飲んできた事は、そもそも健康な人から見ると異常だったというだけの事なのですよね。

やってしまった事は取り返しがつかないけれど、あきらめてはいけない。明るい気持ちで残りの人生を断酒していきたいと思います。

お酒を飲む人は全員アルコール依存症である。

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以前から、どこまでが正常な飲酒でどこからがアルコール依存症なのか?この定義が自分の中で定まらず、スッキリしなかったのですが、

これを「お酒を飲む人は全員アルコール依存症なんだ。」と考えるとスッキリします。
「お酒を飲む人はアルコール依存症で、お酒を飲まない人はアルコール依存症ではない。」
この定義で行くと、たまの宴会でビールを一口飲むだけの人でも依存症です。

まああくまで「アルコールを摂取する事を必要な事と考える。」事を依存的思考と捉えての意見ですから、社会一般的な考えではありません。

ただ、このたまの少量飲酒から死に至る連続飲酒まで、食品がどこから腐るのか線引きが難しいのと同じで、此処からという区切りが無いですし、そして飲酒の実態は、体に良くない飲み方をしている飲酒者の割合が全体の何十パーセントにもなっている。

こういう考えは、楽しく飲酒している人に対する負け惜しみなのかもしれないけど、一理あるかなとも思うのです。釈迦もマホメットも飲酒はやめておけと教えていますしね。

まあ「アルコール依存症の定義」なんか考えなくても良いのに、学者でもないのに理屈っぽいおばさんだなあと思いますが、今日は飲み会なので(嫌だなあ。)、少し気分を冷静にする為に、自分の社会通念の見直しをしてみましたよっと。( ̄ー ̄)